有限会社デジタルモリス

Column

新年明けましておめでとうございます。


2018年01月03日

 2018年(平成30年)になりました。
 私の祖母は大正6年(1917年)生まれの今年101歳になるから、もし来年5月も生きられたら、大正、昭和、平成、とその次の時代も生きることになるのです。
 私も、昭和、平成、とその次の時代。
 時代は移りますね。

 先日、たまたま漫画「三丁目の夕日」を読みました。時代は昭和30年代です。貧乏でもちょっとしたことが幸せ、というテーマの巻でした。なぜ貧乏でも幸せを感じるかというと、それは皆が貧乏だから、です。これは悪平等でななく、そこで助け合いができたりするのですよね。「カレーを作りすぎたから」と言ってお隣さんにあげたり。見返りは、お金ではなく、笑顔であったり、お隣さんの幸せであったり。
 ただ、ご近所さん同士で、いろいろものを交換したりするのは、今でもよく行われています。都会でも地方でも。それは、貧乏だからではなく、どちらかと言えば、他人に喜んでほしいから。あるいは余ったものを捨てるのがもったいないから。そんなことが理由だとおもうのです。

 ネットのサービスである「メルカリ」が、日本であんなに流行しているのも、私たちの文化が背景にあると考えられます。
 購入する方は比較的簡単ですが、出品するほうは、おそらくお金には見合わないことが多いでしょう。

 アメリカ人でも、日本人でも、お金で幸せを感じる収入の上限はおよそ700万円だと言われています。(家が賃貸かどうかで、100万円ぐらいは変わるでしょう。)
 幸せと収入の関係について語られ始めたのは確か25年ぐらい前でもあり、実はここ5,6年で世間では誰もが、そうだなるほどと実感してきたのかも知れません。
(お金はいくらあっても困ることはない、などと思ってきた。)

 貧乏でも幸せ、というのは、概念としてはまず間違っているでしょう。収入は安定していなくては、なるほど制限が多くなります。
 でも、年収500万でも、700万でも(あるいは世帯収入)、収入を安定させるためには、とても単調な日々を過ごす必要があります。それは、会社員だろうが、自営業者だろうが、そして作家や芸術家やミュージシャンでもそうでしょう。
 そして、その単調な毎日に、ちょっとした刺激が得られると、また単調な生活も楽しくなってくるものです。(尾崎豊が、どれほどライブツアーに苦しんでいたことか。桑田佳祐も同じ。)

 ちょっとした刺激は、マネーで得られることもあるのですが、マネーだけだと限界もありそうです。
 永ちゃんは、新年の朝日新聞インタビュー記事で、「ライブ後の1,2杯のワインに一番幸せを感じる」と語っていました。永ちゃんも変わった? いやいや、何にも変わっていません。

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